柔を習いながらも幼稚園に行くようになります。
幼稚園でやっと同級生の名前も覚えて近所の子供達と遊ぶようになります。
公園に行ったとしてもブランコや滑り台はせずに、鉄棒で懸垂や逆上がり、蹴上がり等を練習したりポケバイに交代で乗ったりして遊んでいました。
砂場のある公園で走るのでサイクロン号ポケバイは傷みが激しく、キャブ詰まりしたりタイヤが減ったり、ブレーキが減ったりとボロボロになってきました。
エンジンやキャブは草刈機なので物置に行けば部品はその辺にあります。
大変なのはワイヤーやタイヤ交換ですね。
調子悪くなる度に爺さんや叔父さんにお願いして、交換や修理して貰ってました。
キャブのバラシや掃除はこの時に覚えています。
覚えないとサイクロン号で遊べないので、自然と覚えてしまうのでした。
さて柔ですが、加納治五郎先生の講道館ではないので大きな大会もなく、昇級や段位も爺さんが認めないと上がらないので、すぐに辞めていく人が多く、実の息子である親父も叔父さんも、2年持たず辞めた稽古量がオカシイ道場。
柔道一直線ブームは無視して実に厳しく、先ずは礼儀、挨拶、掃除から教える道場です。
月謝は一切取らず本当に強くやりたい奴だけ来い!
真剣にやるんやったらどんな奴でも全日本クラスには手届くんや。
近所の1つ歳上の兄ちゃんなんかは、毎日実験台に僕が投げられてた後に、小学生で近畿大会優勝、全国大会準優勝。
中学校では全日本で優勝し、柔道で高校進学してしまうのでした。
そんな兄ちゃんも小学生の頃は、何度も泣き入って辞めたがるのを、僕が家迄迎えに行ったのでした。
僕は後に小学校行く前になった時に柔道の試合に出してもらい、頭突き◼頭パンチ◼を発射、反則負けでデビューしています。
爺さんは先ず柔道のルールを孫に教えるべきでした。
柔は武術なので反則技ってあまりないのです。
帯で首絞めたり、道着で脛動脈絞めてもアリなんで。
頭パンチ?
一応なんか言われますが柔では反則負けにはなりません。
そんな厳しい道場でしたが、爺さんは面倒見がよく、生徒達が腹を減らしていたら飯をたらふく食わせたり、生徒の親が仕事探していたら一緒に知り合いの所に出向き、雇用をお願いする等優しい一面もありました。
その変わりに爺さんの会社の建築現場でサボった人間が、道場で痛めつけられているのも何度も見ました。
爺さんは貿易もやってたのでアメリカ製の食べ物や、珍しいヨーロッパの食器等のついでに、バイクの逆輸入車や外車を引っ張って来たりしてたのでした。
ただの気の短い鬼だと思ってた爺さんが、実は会社で出した利益の一部を地域の子供達の為に道場で教える、飯食わせる、礼儀、挨拶を仕込む等に使ってたなんて。
なかなかの人格者じゃないですか。