大型バイク2台体制になった僕は仕事終わりでCBRの日は天理ダムを攻めたり、吉野の山を攻めて帰ってました。
またゼファーの日は時計屋の店に足を伸ばしてバイク談義に熱中します。
そして時計屋は世界最高速バイクである隼を購入しました。ZRX とKSRをバイク王に出し、2002年式ガンメタの隼とオレンジのチョイノリに買い換えたのです。
龍神攻めよ!
時計屋からのお誘い。
舗装が悪く、砂の多い龍神攻めるのは重い大型バイクではなかなかの難関なので迷わずCBRで行きます。
たぶん軽くて小さい250レプリカのほうが速いでしょう。
朝早く高野口の駅にて集合、夜明けを待ちながら駅前唯一のコンビニで暖を取り、いざ出発!
タイヤを温めながらだんだんと倒していき、中盤からはガンガン寝かせて行きます。
龍神の駐車場で休憩後、高野口まで戻ります。
バイク交換してもう1回攻めへん?
時計屋のピカピカの120万円の隼と、僕の前オーナーが鈴鹿で110㎞/hで転けてカウルがパテ埋めの30万円のCBR。
緊張しながら対向車と路肩の砂に気を付けて、慎重にアクセルを開けてバンクさせて行きます。
龍神万歳!!
うしろからCBRで追いかけてくる時計屋の姿は、とっくに見当たりません。
ゴールの駐車場にて
『倒し過ぎやろ?!もうちょい慎重に頼むわ!』
って時計屋の抗議をスルーしながら、リッターオーバーも楽しいな~とニヤリとする僕。
CBRのライトが消えてるのに気づきました。
ヒューズが飛んでるみたいです。
シングルシートカバーを外し、チェックしたら案の定切れていました。
時計屋は店を開ける時間が、迫っていたので先に帰ります。
僕も夜も明けてもう明るいし、高野口にヒューズを売ってる店なんかあるわけもないので地元まで飛ばしました。
地元のバイクショップで電話を見ると、時計屋から鬼電の着信履歴。
電話してみたら今度は向こうが出ない。
5分あれば家に着くのでとにかく家に帰り、ヒューズを交換しながら何度か電話します。
昼を回って部屋でうとうとしてたらやっと電話が繋がりました。
『すり抜けしてたらトラックに巻き込まれて肩を脱臼した。』
マヂで?アホやん!
『入院した。』
マヂで?
柔出身の僕は脱臼くらいは自分で治す、もしくは爺にガチャンっていれてもろたらそれで終わり。
早速見舞いに行きました。
CBRで。
『隼が和歌山県の国道沿いにそのまま停めてる。いずれ修理せなあかんからシートかけといて欲しい。』
一旦家に戻り、不具合のないゼファーに乗り替えます。
リアシートにバイクカバー、ゴジラロックとディスクロック、太郎のクサリにチューブを巻いた物等、家にある全ての防犯グッズをカバンに詰め込み、ネットで固定します。
龍神を超え、青看板の国道○○号線を頼りに大阪方面に走ります。
!!
隼、ボロボロやん!
俺が龍神で転けてやったほうがマシやんと思った程に姿は変わり果てていました。
僕は時計屋がバイク卒業すると決めれば、僕も清く卒業しようと決めていました。
彼の性格的に自分だけ降りるとか絶対にない選択です。
バイク仲間が欲しくて、よそのチームのツーリングまで顔だしてる程ですから。
事故車でも部品別に売ったらまぁまぁの値段なるで。
事故の保険で金は帰ってくるんやから、嫁さんや子供の為にも降りたら?と進言したら
『バイク取られたら何も楽しみがない。死んでるんと一緒や。』
車があるやん?
R33ステージアの280馬力モデルが時計屋の愛車です。
オートマチック車だったのでスポーツ走行あまりできず、ボディーが長いのでサーキットに持ち込む気にもならない。
道の混む中央大通り、中環ではあまり楽しめないそうです。
退院後、和歌山県の国道沿いに隼を回収に行きます。
1度東大阪市まで迎えに行き、和歌山県の高野口を目指します。
昼食後、フロントフォークの曲がったエンジンかからないない隼を押して、広い駐車場のある売店迄行きます。
狭い国道での荷積みは二次災害の元ですから。
ゴムタイヤ付きの台車に曲がったフロントを載せ、アルミラダーの上を一気に荷台まで走ります。
200㎏超えたバイクはさすがに重く、汗が一気に吹き出ましたがガッチリとワイヤーバンドで止め、修理の店へ。
隼を売るにもパーツではなく、修理してから売ると言います。
いやいや、絶対乗るでしょ?
ノーマルマフラーより社外品マフラーを装着するほうが金額的に安いから、見積はノーマルで作業は社外品にするようにアドバイスしました。
迷った挙げ句、選択したのはレオビンチのチタン/カーボン。
カウルやエンジン下の作業を始める前に装着しないと作業効率が落ち、修理代が高額請求になるからです。