微笑みの国に生きる修羅? タコ師匠のバイク史:その35

微笑みの国、タイ 仏教に熱心な国で優しく微笑みかけてくれる国

それが本当なら僕の修業した所はタイではなく別の国だったのでしょうか?

飛行場まで2時間半かけてトヨタのピックアップで迎えに来てくれたカタコトの英語で話してくるイングリッシュオッケーの怪しいジムのオーナーは、黒い小型のうちの叔父さんみたい。

街に出るための三人乗り出来るカブっぽいのを1万円位(エンジン不動)で売り付けてきます。

ジム使用料金と寝泊まりと食事付で当時のレートで月に4000円

500円玉8枚で一ヶ月 食と住が。

キックボクサーなんで、食事なんか1日一杯のスープ。

胡瓜2切れとか、辛いフォーだけのレベルですから、安いはずですわ。

寝るとこはジムの隣の蛸部屋より狭い2畳程の部屋のロフトの部分のみ。

とにもかくにも減量して現地で試合を組んで貰うのを目標として必死で練習しました。

強くなるには人を蹴りなさい。

そして殴りなさい。

毎日繰り返して蹴る回数、殴る回数、倒す時間が減っていけば破壊力が増した証拠。

街に出るための道はジムから徒歩で6時間。

途中に自販機等ないため、脱走を試みたら確実に蛇に襲われるか?野犬の集団に食い殺されるか?よりも怖いのが熱中症で死ぬ事らしい。

僕は外国人なのでバイクや車も、ジムから自由に乗って良いのですが、人身売買で買われてジムにいる子供たちは軟禁状態です。

日本人の僕にはかなりデリケートな問題なんですが、ジムでは当たり前なんです。

僕は街に出たら子供たちに食べ物や御菓子やら服を買ってあげました。

修理したカブっぽいのを洗ってくれたり、練習着を洗濯してくれたり一生懸命世話をしてくれたお礼です。

プロライセンステストの日には、自分達のライバルになるはずの僕を応援してくれたりする微笑みファイター達でした。

応援に来てくれたこの子達にははっきり言ってムエタイの才能はありません。

飼い慣らされた一生涯蹴られ殴られてジムの人間サンドバッグとして生きて行くであろう小柄なこの子供達に情けをかけた僕も、プロ失格なんですが。

僕はムエタイ選手にしてはデカイほうなので彼達と試合をする事はありません。

ジムの興行でのポジションで試合のギャラ分配率でのライバルなんですが、子供の彼達にはあまり興味深くない内容かも知れません。

象はタイにおいて神様の使いらしいです。象を蹴ってタイ国民に憎まれヒールになるか?

タイコブラを手刀で殺して謎の外国人ヒーローになるか?

がギャラアップの近道だと考え、ジムの会長に相談しました。

象を蹴ったりしたら軍にピストルで撃たれるぞ。コブラにしときなさい、とのアドバイス。

予め毒を抜いて貰い更に薬で弱らせたコブラを、ブンブン振り回して叩きつけて殺す。

その死骸をニヤニヤしながら噛みつき白眼をむく。

完全に頭のイッタ外国人を演じ続けた僕にチャンスが訪れます。

小さな団体ですが、そこのミドル級のチャンプが対戦者として認めてくれたのです。

チャンプ側も、話題のある相手だとお客の入りも違うし。

更に賭け事の対象なので動くお金の金額が凄くなります。

幸運にもこのチャンスを首相撲からの膝げりでモノにする事ができました。

ここでチャンプになってもファイトマネーはそんなに上がりません

賭け事をするお客からお礼の札を貰うほうが金額的に高いのですから。

儲けたお金でタイのカワサキで作ってるKR150って2サイクルのバイクを買います。

20馬力ぐらい出てたのでしょうか?軽い車体に高回転まで回したらパンチのあるパワーを感じられました。

ボロボロのカブモドキはジムのインストラクターにあげました。

無名ながら、タイでベルトを取れた僕は賭け小屋でだんだん有名になってきていました。

現地の人は勿論、観光客にもわかりやすい悪役。

タイの人達とは違う金銭感覚の観光客にはかなり儲けさせて貰いました。